2008年大みそか

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いよいよ今年も残り1日となりました。
今年は私にとっては膿(うみ)を出す1年となりました。
来年からが新たな出発の年となります。
1から新規出しをし、また、関わった方(グループ)をパールに引き上げていく目標で取り組んでいきます。
この仕事はパールにまで到達するととりあえずは安定した権利収入が得られます。
パールまでは不安定なので、ケースが上下することが多いのです。
ですから、パールにまで引き上げていく作業と人間関係づくりに励んでいきたいと思います。
そして、前回のマイストーリーでもお伝えしましたが、自分が最初にノニをやろうと思ったのは
「タヒチアンノニジュース単品」
だったからなのです。
もし、ヒロや起業支援を勧められていたら私はやっていなかったでしょう。
ジュース1本だからシンプルにできることに感動したのです。
この会社はジュース単品で初年度40億円、2年目130億円を上げられる力のある商品なのです。
アメリカでは1300人の医療関係者がタヒチアンノニジュースを実際に患者さんに処方しており、その患者さん27000人のデータの平均改善率が7割を超えているという驚異的な実績をあげている商品なのです。
この商品を全面的にお伝えせずに何を伝えるのでしょうか・・・
この事実を知らない方が世の中のほとんどの方です。
来年は原点に戻って、まだ全然普及していないタヒチアンノニジュースの普及に努めていきたいと思います。
まずいとか、効かないとか、高いとかさまざまな反論にめげずにこのジュースの価値をわかっていただける方にお伝えできればと思っています。
この2年間はいろいろと遠回りしてきたわけですが、それもすべて経験、すべての出来事に意味があると思って前向きにとらえて取り組んでいきます。
来年はジョンワズワース、黄木支社長の元で楽しく顔晴っていきたいと思います!
今年1年お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
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マイストーリー 第19話
場所は東京広尾にある一軒家のリビングルームでした。
決して広くないそのリビングルームはマル椅子が20脚ぐらい置いてあり、そこにほぼいっぱいになるぐらいの人が座っていました。
野口さんとは現地で待ち合わせるということにして時間ぎりぎりだったので、早速説明会を聞きました。
当時、菊地英晃さん(現ブラックパール)がお話しされたのですが、上手で素晴らしかったです。
そして、ここで登録したいと思いました。
でも、紹介者の野口さんを探すために隣の方に・・・
「野口毅さんってどちらにいらっしゃいますか?」
って尋ねたら、あちらです・・・って言われたので、その野口さんの横顔を初めて遠目に拝見した時に、私の脳裏によぎったのが・・・
「ああ~なるほど・・・自分で頑張ろう・・・」
っていう思いでした。
当時の野口さんは成功者の風貌からは大変失礼な言い方ですが、全然かけ離れていた感じだったのです。
野口さんには失礼招致で書いてしまっていますが、弱々しい表情、正面から相手の顔を見れずにななめ横から見上げる感じ、目はキョロキョロしていて挙動不審な感じ・・・当時の野口さんを知っている方の多くの第一印象はそのようだったのではと思います。
でも、表情からは想像つかないぐらいの努力化で英語も堪能な頭のいい方だったのです。
そして、現在は当時の面影はまったくなく穏やかな素敵なパパさんです。
今の野口さんはどなたにでも会っていただきたいですね。
話を戻しますが、説明会終了後、野口さんに紹介されて当時、その会場にいらした、6人のアップラインに直接お話しを聞くことができました。
私はその6人の方に同じ質問をしました。
「なぜモリンダを取り組んだのですか・・・モリンダの前は何をやられていたのですが・・・」
いわゆる、テルザストーリーを聞いていったのです。
その中で印象的だったお話を紹介していきます。
第19話 おわり 続く
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今日は最高の自分だった・・・今日は最高自分だった・・・
一日一善 すべての人の感謝! 自分の人生はハッピーエンド!
ツイてる、ツイてる、ツイてる!

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