「愛の定義」
って言われたらどう答えますか?
今まで、私にとっての愛の定義は、相手のすべてを受け入れる、認める、相手の長所も短所も受け入れるという感じだったのです。
その愛の定義がとんでもない出来事、結果をもたらしていることに気づきました。
とんでもない出来事を引き起こした数は言いだしたらキリがありません。
愛に限らず、自分の思い込みが自分の人生のほとんどの出来事を引き起こしています。
ですから、今、私は今まで引き起こした出来事を振り返りながら自分の思い込み、勘違いを修正しています。
修正は主に毎日朝晩アファメーション(積極的宣言)という形で自分に言い聞かせています。
今回の思い込みのテーマは愛です。
私は自分の愛の定義づけを勘違いしていたために、こんな自分を愛していました。
それは、
「一所懸命取り組んでいる自分」
結果が出ても出なくもです。
一所懸命(精一杯)取り組んでいた自分に酔いしれていたのです。
別の言い方をすると「一所懸命取り組んでいるふりをしている自分」です。
その自分の愛の定義が見事にグループの方に投影されていました。
つまり、結果が出ない方も愛しているのです。(もちろん、結果が出ている方は愛しますが。。。)
一見良いように見えますが、この私の愛の気持ちが仮に相手に結果をもたらしていないと思ったらゾッとします。
どういうことかというと、
例えば、私のグループの方は結果が出なくてもみねおさんに、受け入れてもらえる(愛してもらえる)と、
「甘えるのです」
これは私のインナーチャイルド(自分の内にある子供のような自分)が、バリバリの甘ちゃんなのです。
このインナーチャイルドは本来は大人になった現在、しっかりと育てて、甘えないようしなければなりません。
しっかりとアダルトにしなければなりません。
もちろん、すべてがアダルトになる必要はありませんが、必要以上に子供の自分でいると、その投影が現実を作ってしまいます。
ここの話は深いのでまた後日します。
とりあえず、この甘ちゃんが、私のグループの方々に投影、浸透しているかもしれません。
つまり、この甘ちゃんの気持ちが仲良しチーム、和気あいあいチーム、モリンダサークルみたいな結果は出ないけど楽しく取り組もうね・・・的なグループを作り出しているとしたら・・・・
また、楽しければいつかは結果は出るから・・・・・というあり方を作り出していたら、
ゾッとします。
冷静に考えて、
結果が出なくて本当に楽しいでしょうか?
もし、自分のあり方が結果の出ない方を生み出しているとしたらどうでしょうか。。。。。
ヤバイです。。。。
本当に自分のあり方がグループに投影すると思ったら怖いです。
だから私は、
「絶対に変わると決めた」のです。
愛の定義以外にも変わると決めたことがいくつかあります。
それはまた追ってお伝えしていきます。
私は甘えん坊とかまってかまってというインナーチャイルドが大人になっても相当育ってしまっているのですから、その甘ちゃんをもうやめると毎日朝晩宣言しています。
今まで十分親にかまってきてもらったから、その甘ちゃんから卒業して次へ進むのです。
そして、新しい愛の定義は、
「愛とは相手の成長を促す(育む)ことである」
としました。
相手の成長、結果を促してあげてこそ、真の愛だという定義です。
この気持ちを胸に自分のまわりの方々と関わっていこうという決意です。
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