東京は寒いようですが、沖縄はようやく汗ばまなくなり、過ごしやすい季節になりました。
さて、先日聞いた話で、なるほどな~と思ったことですが・・・
車のあるトップセールスマンは600人以上の自分の顧客がいて、その顧客に毎日5名ぐらい会ってフォローアップしているそうです。
そのフォローアップの中から紹介が出て、新規顧客を増やしているとのことです。
一方、ある売れないセールスマンは200人ぐらいの顧客は一応いるのですが、そのリストの多くは会社を辞めたセールスマンから引き継いだお客さまのだそうです。
それだったら、面識がないから、一人ずつアポイントを取って会っていけばいいのにそんなことをしないで喫茶店などで時間をつぶしているそうです。
この話を聞いて、ノニでもうまくいく人といかない人の違いは、おのおのには今まで生きてきて知り合った人たちがたくさんいるのに、つまりそのリストがあるのに、その方々にアプローチしないで時間を無駄に使っているわけです。
私はメンバーが大勢いてそのフォローアップだけで組織が基本的には維持、拡大できる規模です。
しかし、私自身はもっと組織を大きくしたいので、自分でできる仕事を自分のグループのリーダーにやってもらって、極力フォローアップを少なくして新規出しをしたいという気持ちなのです。
なぜなら、この仕事の原点は新規出しだからです。
大きな組織を作っている方に共通しているのが常に新規出しをしているのです。
組織が伸び悩んでいるリーダーに共通しているのが自分が新規出しをしていないのです。
タイトル関係ありません・・・私のグループのブラックパールの方に共通しているのが新規出しに励んでいるのです。
この姿勢がブラックパールになるあり方です。
なぜなら、新しい方にアプローチしてネットワークを広げていくことが楽しいからです。
楽しく取り組んでタイトルアップしていくっていいですよね・・・
私も楽しんでクラブマルケサスになります。
自分がいつまでも同じタイトルであぐらをかいていることはダウンラインのお手本ではないと思っています。
常にダウンラインのお手本になる活動の原点が新規を出してそのグループを大きくしていくことだと思っています。
自分のグループにそんな活動をする方々がどんどんと誕生していったら楽しいですから・・・・
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私のマイストーリー 第2話
高校から受験ぜずにストレートに法学部に無事入学し、部活に明け暮れる毎日がスタートしました。
大学1年の時に2つ上の先輩と組んでインカレ(全日本学生選手権)でベスト16に入り、翌年団体戦のレギュラーに抜擢されるも見事の期待を裏切りボロボロの成績、そのため翌年はレギュラーを外されるという屈辱を経験し、最後の4年の年を悔いなく終えるために3年の後半からチーム一練習に励みました。
その成果が出て、4年で自身、そして部でも最高の成績を収めることができました。
今振り返ると2年から3年の時に一つ上の先輩にしごかれ、つらい1年を乗り越えることができたのが4年の成績につながったと思えるのです。
2年から3年の1年は練習がいやでいやで、その先輩が大嫌いで、事あるごとにしかられ、殴られることもあり、いっそ殴り返して部活を辞めてやろうと真剣に考えたほどでした。
おまけに腰痛で練習もできなくなり、それも先輩から言われる原因になり、精神的に凄いストレスでした。
この4年間の部活動の経験はのちに独立してつらい時期を乗り越えるためにいい経験だったとつくづく思います。
さて、大学4年の当時、卒業してからの進路に関しては実はまったく考えていませんでした。
なぜなら、私自身の目標は大学までしか立てていなかったからです。
そこで、東京電力に勤めている先輩からある日、うちに来ないか~と誘われたので、素直に面接を受けて、それもたった15分で終わり、それで内定が出てしまったのです。
就職活動ってこんなものか・・・こんな印象でした。
東京電力のイメージはおやじの公務員とダブり、結局はおやじと同じような子供と休日にテニスを楽しむほのぼのとした家庭を築いていくことを思い描いたのでした。
それもいいかな~って当時は思えたので、これで自分のこれからの人生は決まった!って感じでした。
ところがここから思いがけない出来事が次々と起こるわけで、人生は本当に面白いと思います。
東京電力とはま逆な人生を歩んでいくことになるわけです。
私のサラリーマンのイメージはとにかく安定、自由はない、贅沢はできない・・・
うちは公務員だったため、贅沢は禁物と教えられてきました。
父親が戦争体験をしていることも影響していると思います。
親との旅行、もちろん海外旅行など1度も経験しておらず、自分が就職したら親と同じように海外旅行など絶対に行けないだろうと思ったので、残りの大学生活を思う存分に楽しむためには、まずはお金をためて海外旅行に行こうと決め、ほぼ貯金のすべてを海外旅行に費やしたのでした。
そして、卒業をまじかに控えた2月ごろに思いがけない出来事が起こるのです。
私は通常2年で終えなければならない英語が苦手なために4年まで持ち越しており、しかも、4年のときの先生が外国人で非常に厳しく・・・見事に単位を落としてくれたのです。
つまり、留年になってしまったのです。
私はショックで2日ぐらい立ち上がれませんでした。
第2話終わり つづく
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今日は最高の自分だった・・・今日は最高自分だった・・・
一日一善 すべての人の感謝! 自分の人生はハッピーエンド!
ツイてる、ツイてる、ツイてる!
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