今日から大阪に入り、明日は新年会で、翌日は事業説明会、そして、関東に戻ってきて、月曜日は東京の新年会。
空港のラウンジでブログを書く前にスポーツ新聞に目を通したときの一面に、「キングカズが松坂に41歳現役の秘訣伝授」という記事がありました。
今年42歳を迎えるJ2の三浦カズ選手に大リーガーの松坂や松井が尊敬の念を抱いているそうです。
理由は41歳を超えても今だに現役で活躍しているからです。
プロスポーツの世界で現役を続けるのは難しいです。
でも、そのカズは松井に対して、「プロとしての成功は大金を稼ぐことじゃない。結果を恐れずグラウンドで一生懸命やり通すこと。お互いに10年後も現役でいよう!」とエールを送ったそうです。
カズの言葉しびれますね・・・
カズはパンにはバターを塗らず、揚げ物もにおいだけを食べるという徹底ぶりで、体脂肪率1ケタ代をキープしているそうです。
そして、松坂も50歳まで現役でプレーできるような10年後、20年後を見据えたメニューを組んでいるそうです。
さすが、一流は違います。
共通しているのは長期的な視点で立って行動していることです。
私は10年ノニ界で過ごしてきましたが、私自身もこれから10年、20年という長いスパンで考えたビジネスプランを考えていこうと改めて思いました。
よく話に出す、ミキプルーンは実に40年以上営業を続けています。
ということは40年現役を続けている方もいらっしゃるかもしれません。
先日、アムウェイで最高タイトルのクラウンアンバサダーに25年の歳月をかけて到達した方の記事を読みましたが、本当に素晴らしいですね。
一つのことを長くやるというのは凄いことです。
目指すべき先輩方が世の中にはたくさんいて、いい刺激になります。
そんな、長きに渡って継続していく仕事だからこそ、自分たちの仕事に誇りを持っているかどうかをぜひとも確認してみていただきたいのです。
「健康がすべてではない、しかし健康を失うとすべて失う」
私の師匠の一人が言われた明言です。
最初に聞いたとき、本当にその通りだと思いました。
使いきれないだけのお金があっても寝たきりだったらどうだろう・・・
毎日のように友人たちから遊びのお誘いを受けても、自分は病院で寝たきりで外へ出れないなんて・・・
どうでしょうか・・・やはり私たちの人生においてかなりの重要なウエイトをしめるのが健康かもしれません。
その健康に関わる製品を我々は扱っています。
それも巷で売っている商品とはまったく差別化された商品なのです。
南太平洋の肥沃な大地と水と太陽の下の手つかずの大自然で育った素材のジュースなのです。
しかも、ヨーロッパのノベルフードをとり、PDRにも掲載されている商品です。
これだけでも、凄いのに、これにプラスしてこの商品を誰にでも安く購入できる仕組みが備わっているのです。
さらに、それをお仕事としても取り組めるわけです。
こんな素晴らしいお仕事に誇りを持っていただきたいのです。
我々の仕事は4,410円という低い投資金額でスタートできるのが、ある意味落とし穴で、安易な考えで成功できるかもって参加してくる人が多いのも事実です。
この仕事は飲食店やコンビニ、自営業とまったく同じで、独立事業主であるという自覚、意識を強く持っていただきたいのです。
決して楽に儲かる仕事ではありません。
世の中に楽して儲かる仕事などないことは社会に出た方なら誰もが知っていることではありますが、それでも安易に考える人は多いです。
でも、プラスに考えていただきたいのは成功できる可能性があるビジネスを選択したというです。
なぜなら、多くの方がタヒチアンノニビジネスを取り組んで人生を大きく変えてこられました。
そこには数多くの困難があったかもしれません。
今日、比較的順調に行っている人でもこれからその困難にぶち当たるかもしれません。
いずれにしても、このビジネスを真剣に取り組むことによって今まで体験できなかったようないろいろな学び、気付きがあることは保証します。
そして、何よりも楽しいです。
ただ、これらの体験はジェードを超えてみないと気付かないかもしれません。
ジェード、パール、ダイヤ、ブラックパール、それぞれの地点での学び、気付きがあるのがこの仕事の醍醐味かもしれません。
私がこの仕事を10年楽しく取り組めてきたことは、何よりも社会に貢献している実感を得られるからです。
人様に喜んでもらえることが自分の喜びであり、社会の役に立てていると思うのです。
この仕事に携われば携わるほど、その喜びは増すことでしょう。
こんな楽しい仕事ですから、これからも10年、20年と続けていけたらいいですね。
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マイストーリー 第21話
菊地さんがジョンと最初に面識を持ってから実に1年近くの歳月を要したそうです。
そして、菊地さんのアップラインのジョン、グレグ、カッチー佐々木の3人が協力して広尾に一軒家を借りて、「ノニネットワークジャパン」というのを立ち上げたのです。
外人2人はそこで寝泊まりして活動していました。
2階が彼らの寝床で、1階のリビングルームがセミナールームです。
当時カッチー佐々木さんが事業家だったので、自分の資金を出して一軒家を借りたのです。
ジョンはタヒチアンノニジュース生みの親、ジョン・ワズワースのおいにあたり、創業からおじさんのジョンと一緒に製品開発、そのあとはカスタマーサービスで仕事をしていたそうです。
そして、この会社が初年度40憶円もの売上を誇った翌年、おいのジョンはおじさんのジョンに自分の給料を上げてくれ~と頼んだそうです。
しかし、おじさんはこれから会社はさらなる発展のため、先行投資をしていくので、給料を上げるゆとりはないと断り、その代わり、勝負するなら日本が来年オープンするから自分がディストリビューター(現IPC)として勝負するか、今のままの給料で我慢するか、好きな方を選択しなさい~と言われたので、彼は思い切ってモリンダ社の社員を辞めて日本にやってきたのです。
そして、人脈が無いなか、外ではビラを配り、電車では同じ車両の方に名刺を配り、配り終えたら次の車両というように転々と名刺を配りまくっていきました。
また、他のネットワークビジネスの説明会に乗りこんで、そこで名刺交換をしてヒンシュクかっていたりもしました。
とにかく、やれることはすべてやっていったのです。
でも、名刺を配って電話が来るのは若い女性ばかりで、目的はジョンと一緒に食事がしたかっただけなのです。
彼は当時26歳でかっこいい風貌だったので、彼に声をかけられた女性の多くは彼にデート目的の電話をしていったのです。
彼はデートにはまったく興味がなく、探していたのはビジネスパートナーだったのです。
途方にくれながらも彼は出会いを求めて行動し続けていきました。
そうしたら、数か月後に菊地さんと出会ったのです。
彼はアメリカのカスタマーで働いていた当時、毎日ノニジュースを飲んで感動した体験談のファックスがたくさん流れてきていたのを目のあたりにしていたので、ジュースの凄さという確信があったので、絶対にノニジュースは日本ではやると確信していたのです。
その熱意が菊地さんとつながったのです。
第21話 終わり 続く
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今日は最高の自分だった・・・今日は最高自分だった・・・
一日一善 すべての人の感謝! 自分の人生はハッピーエンド!
ツイてる、ツイてる、ツイてる!
ノニノニ
あけましておめでとうございます
マイストーリー、毎回楽しみにしています
本編より好きかも(^_^;