今年で5年目になる、新年恒例の新年会を今年初めて大阪と東京で行いました。
土曜日に大阪で行いました。
大阪はセールスオフィス近くのおしゃれな堂島ホテルで行いましたが、総勢65名で記念すべき第1回目が開催できました。
今年の関西地区は爆発する予感がします。
オフィスも新しくなるでしょうし、そこからさらに加速していくことでしょう。
そして、本日東京の新年会は日の出桟橋からシンフォニークルーズを貸し切って出港しました。
総勢200名貸切で行いました。
サプライズはなんと、写真のケーキを見てください。
ノニのボトルなんです。
このシンフォニーの粋な計らいには感動しました。
おそらく、昨年タヒチアンノニ社がリーダーシップカンファレンスで貸し切ったことからノニジュースを知っていただいていたのがよかったですね。
昨年の会社の貸し切りのときは着席で、料理のソースにタヒチアンノニジュースが入っていたのには感動しました。
そして、今回のこの計らいです。
シンフォニークルーズ最高です・・・本当に企画してよかった!!
大阪も東京も参加者の皆さんに喜んでいただき、私自身も大満足でした。
今日のアフターで、話し合った結果、来年もシンフォニークルーズにして、このクルーズを定番にしようということになりました。
ジェード達成したら、サクセスパスのジェードキャンプに参加できるように、私たちのグループでは、シンフォニークルーズにペアで招待というのを定番にしようと思います。
ただし、ジェードでの参加は1回キリなので、次に参加したい場合にはパール達成したらまた参加できますので頑張ってくださいね。
大阪、東京で新年会ご参加の皆様ありがとうございました。
最後に、新年早々素晴らしい情報が私の携帯メールに入ってきたのでご紹介しますね。
私のサイドラインの友人の遠藤さんからのメールです。
「明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
嬉しいことが年明けからありそのご報告させて頂きます。
実は昨年より東洋大陸上部にノニジュース伝えさせて頂き往路・復路の完全優勝
。
とても凄い奇跡・感動を頂きました。
全選手のうちタヒチアンノニジュースを愛用していたのは6名の選手です。
1区
若松選手(四年)
2区
山本選手(四年)
3区
大西選手(四年)
4区
宇野選手(一年)
5区
柏原選手(一年)
9区
大津選手(二年)
以上の選手がノニジュースを飲んでます。
5区柏原選手特に凄かったです。
選手達は各々ジュースの体感があり気にいって飲んでるのでこれからの東洋大は
駒沢大学のように常勝軍団になるだろうと思います。
思い起こせば一年二ヶ月前にひとりの選手にノニジュースが伝わり陸上部に伝え
たいと願いそれが現実となり陸上部に伝えさせて頂きました。そして年明け劇的
な結末!
諦めないで伝え続けて本当に良かったです。
選手も喜んでくれました。
これからもドンドン伝えていきます。」
凄いですよね・・・・
思いは叶うんですよね・・・
遠藤さんの功績はTNI社にとって大きいです。
それにしてもタヒチアンノニジュースは凄いです・・・
オフィシャルで選手の名前を出していいという了解を得ました。
それだけ、ノニジュースを気に入ってくださって、TNI社に絶大なる信頼を置いて下さっている証拠だと思います。
今年のタヒチアンノニ社は凄いことになりそうですね・・・というより必ず凄くなりますね。
ワクワクしてきます・・・毎日がワクワクの連続です。
家族で関東に戻ってきたので、これからエンジン全開でノニジュース飲んで走り続けます!
私の今年のお正月はわが母校が東洋大に負けて悔しい思いをしていましたが、この報告を受けて、悔しさから、東洋大バンザイ!という歓喜に変わりました。
調子いいですね・・・
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マイストーリー 第22話
最後に、先ほど名前が出てきていた「ノニネットワークジャパン」を立ち上げたカッチー佐々木さんのお話をしたいと思います。
佐々木さんは日本人ですが、アメリカの商社で働いているときに、友人に連れられて最初のタヒチアンノニのミーティングに参加した時に衝撃を受けたそうです。
そのミーティングは、会場のすべての方が一人ずつ前に出てきて、テルザストーリーを話すというシンプルな会でした。
でも、一人ずつの話の内容が凄かったのです。
ほとんどの方が自分または自分の家族に感動の体験を話しており、中には涙ながらに語っている方もいたそうです。
最初は異様に感じたそうでしたが、そのうちに、佐々木さんには・・・
「感謝の念が会場中に満ち溢れている・・・」
と感じるようになり、すぐに創業者のジョン・ワズワースたち創業者に会いに行ったそうです。
ネットワークビジネス経験のまったくない佐々木さんは、純粋にこの製品を日本で販売したいとお願いしたそうです。
そして、この仕組みを理解し日本で「ノニネットワークジャパン」という組織を作り、紹介者はケビンバッカードになってもらって、ちょうど日本に行ってビジネスをしたいジョンの甥っ子のジョンやグレッグをダウンラインにしたがえて、広尾に寝泊まりできる住まいを構えたのです。
そして、1998年の夏ごろ日本で菊地さんが傘下に入ってきてから、急激に組織が拡大していきました。
実は日本支社が日本で正式に営業開始になったのは、1999年2月ですから、この時点では日本では登録できずに、佐々木さん傘下の登録希望者はこのノニネットワークジャパンにFAXを送っていきました。
しかし、商品はすぐに届かず最低でも約1ヶ月~1か月半かかって自宅に届くのでした。
非常にやりづらかったですが、それでもノニジュースを手に入れる方法はそれしかなかったので、日本支社がオープンするまではみんなで辛抱しました。
佐々木さんはFAXを受け取ったあと、アメリカのタヒチアンノニ社にそのFAXを送り、商品を会社から直接日本に送ることができないので、いったんアップラインのケビンの家に送られ、ケビンが国際宅配便の手配をかけて日本に船便で送ってくれたのです。
日本が正式オープンするまでに佐々木さん以下のグループは5000人にも膨れ上がったので、ケビンの家はどのような状態になっていたのか想像がつきませんが、佐々木さん、ケビンのおかげで我々にジュースが供給されてきたのです。
第22話終わり 続く
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今日は最高の自分だった・・・今日は最高自分だった・・・
一日一善 すべての人の感謝! 自分の人生はハッピーエンド!
ツイてる、ツイてる、ツイてる!
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