おはようございます、ちょっとご無沙汰しています。
実は先週父が亡くなりまして、一昨日告別式が終わり、そのまま実家で母と過ごしています。
父は今年80歳迎え、大好きなお酒がたたりまして、4月に体調を大きく崩してからは、兄が整体をやっているので、その兄が実家に1週間に1回帰って父を看ていました。
兄曰く、父はいつ逝ってもおかしくないという状況だったのですが、最後のほうは結構元気になり、東京へ母のテニスの試合についていき、そのあと、久しぶりの仲間とお酒を結構飲んでしまい、その翌日から体調をまた崩し、そこから2週間後の先週の木曜日に眠るように自宅で息を引き取りました。
最後まで薬も医者にもお世話にならなかったです。
もちろん、医者に行けば点滴、薬などの延命治療が行われたと思いますが、そうすれば結局は薬の副作用で苦しんで亡くなるのはわかっておりました。
今の時代ですが、あえてその選択をせず、亡くなる数日間はのどに水さえもまったく受け付けなくなり、のどが乾いたと言っては口に何か含んでは出していたようで、それを母が自宅で看ていました。
亡くなる直前はアイスクリームが食べたいと言って2口ぐらい食べたそうで、そのあと休んでそのまましばらくして息を引き取りました。
亡くなった連絡を受けてすぐに駆けつけたかったのですが、その日は和歌山と大阪と翌日は名古屋と新規向けの説明会を予定していたので、迷いましたが、兄夫婦がいてくれるので母がちょっと心配でしたがそれは大丈夫でしたので、そのまま仕事に行きました。
父は実直な人で、高校卒業後、衆議院の速記者養成所に入り、そこから衆議院に入り、40年ほど速記者として勤め上げ、退職後は国会中継の仕事を嘱託という形で10年ほど勤めて72歳で引退し、そのあとは年々体が衰えていきました。
現役時代はフルマラソンやソフトテニスをやり、その影響で家族でやり始め、私は大学は体育会系のソフトテニス部で全日本学生選手権でダブルスでベスト8、団体3位、関東選手権ではダブルスで優勝しました。
こうした成績が収められたのも父の影響を受け、まじめにコツコツ取り組んだからだと思います。
父はそんな私の活躍を特に喜んでくれました。
社会人になってからは25歳で独立して今年で19年になりますが、一つのことをじっくりやり続けるという父の影響で続けていることができていると思っています。
父の面倒をみていた兄は私の8つ上ですが、整体協会というところに所属して28年ほどになります。
毎月私の身体のメンテナンスを兄にやってもらっているので、兄には絶大な信頼をおいています。
自分がこれだというものを決めてやり続ける大切さは兄や父から学んできたように思います。
モリンダの将来性を考えるとこれからますます力を入れていきたいと考えていますが、残された母のことも考えるといつでも飛んでいってやれるようなスケジュールも考えないとなあ〜と思っています。
母(77歳)はソフトテニスで全国を飛び回っていたのを父の看病で昨年からペースを落として実家の近所で畑をやりながら元気に暮らしていますが、私の希望としては、また全国を飛び回って最期はテニスコートでなんて私は思っているぐらいですから、たまに一緒に全国大会についていきたいとも考えています。
いずにしても、来年は私の目標達成の集大成の年と思っています。
AD、クラブマルケサス、プラチナダイヤと私が目指すべき目標に向かってこれからも邁進していきたいと思います。
そして、全国でブラックパールを目指す方々の応援をしていきたいと思います。
今回のブラックパールトリップの報告をかねています12月15日のサクセスフォーラムでのお話、楽しみですね。
私は2002年のブラックパールトリップに夫婦で参加して、こんなに楽しい旅行に連れて行ってくれるモリンダ社に縁できて本当によかったと心の底から思いました。
先日戻って来た片山BPからも、グループへのメールに、
「今までのどの旅行とも比べものにならない最高の仲間と贅沢でのんびりと豊かな時間を過ごす事ができました!
こんな凄い報奨旅行なんて聞いてなかったです。」
とのコメントを送っていました。
ぜひともこの旅行に一人でも多くの方をという思いで今日までグループをサポートしてきました。
おかげさまで、私のグループからは11組ものBPメンバーが誕生しました。
これからもどんどん誕生していくことでしょう。
皆さんの想像を絶する凄い旅行を用意してくれるこの会社ですから、自分の人生をかけて取り組む意義がありますね。
そして、モリンダが普及すればするほど間違いなく世の中が良くなるわけです。
ぜひとも諦めないでこれからも一緒に取り組んでいきましょう。
コメントを残す