登山家の栗城さんは、昨年凍傷から9本の指を失ってから再出発されたことはご存知の方も多いかと思います。
その栗城さんのFacebookの記事を紹介します。
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「なぜ指を失っても、復帰できたのか」
帰国してから、多くの人に「なぜ指を失っても復帰できたんですか?」とよく聞かれます。
確かに凍傷で9本の指を失ってからの絶望的な日々を考えると、山に向かうことができたのが、本当に不思議です。
なぜ復帰して、ブロードピーク8,047mを登る事ができたのか。
そこには山の先輩に言われた、ある言葉がありました。
2013年11月下旬に左手指5本の切断手術を受けてから、もう一度ヒマラヤ8,000m峰に挑戦したいと思い、僕が尊敬する山の先輩と八ヶ岳の登攀訓練に行きました。
その時の下山中に、印象的な事を言われたのです。
「大きな事故の後に、いい山登りができるようになるよ。だから栗城くん大丈夫だよ。」
なぜこのような事故に遭ってから、いい山登りができるようになるのか、僕は考えていました。
それは、若さ故の一つの壁なのかもしれません。
実は世界の山に向かって行き、事故に遭って亡くなった登山家で一番多いのは、20代後半から30代前半だと言われています。
それは、ちょうど僕の世代です。
その壁とは何なのか。
それは「山を見て、自分が見えない」ということでした。
向かうべき山ばかりを見て自分自身が見えなくなり、いつの間にか心のキャパシティを超え、超えては行けない一線を超えてしまったということです。
山の先輩は、「自分を見極めろ」と言っていました。
先輩も大きな事故に遭っていて、それまでは自分がよく見えなかった部分があると言っていました。
これは、前から頭では理解していたつもりでしたが、事故に遭って始めてわかったことでした。
それからはリハビリをしながら、ありとあらゆる自分を見つめ直してきました。そして、ブロードピークを登る事ができたのです。
恐らくこれは僕だけではなく、見えない山を登る全ての人達に通じる話だと思います。
目標に向かって行く事は、素敵なことです。
しかし、どこかで大切な何かを見失っているかもしれません。
たまには立ち止まって、その大切な何かに向き合ってみる必要もあるかもしれません。
もしも大きな事故に遭って凍傷になってストップしていなければ、今の自分はいなかったと思います。
そういう意味では人生山あり谷ありですが、全てつながっています。
大きな学びを教えてくれた山と先輩に感謝です。
そして応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。
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響きますね。
やはり定期的に自分を見つめ直すことが大切だと思いました。
AD達成にむけて私も定期的に刃を研ぐ作業をしていまして、今月末から3日間の研修に参加します。
今までも自分に投資して見つめてきていろいろと気付いて今日まで来ています。
私も栗城さん同様に突っ走るタイプなので、「山を見て、自分を見失った」ことを繰り返してきたように思います。
いろいろな壁にぶつかり、今は自分を見失わないように常に自分との対話を心がけるようにしています。
妻や子供と言い合いをしたり、グループの方とぶつかったり、いろいろなことがこれからもあるかもしれませんが、そういうことを一つひとつ経験していきながら成長していけると思います。
栗城さんが9本の指を失いながらも登山を諦めずにまたチャレンジしている姿は驚きと共に我々に大切なことを教えてもらっていますね。。。。。
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