日本支社開設10周年

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タヒチアンノニ日本支社が設立されて10年が経過しました。
この10年を振り返ると非常に感慨深いです・・・・さまざまな出来事が思い出されます・・・・今日1日はこれだけで時間を使いたい気持ちです。
10年前のオープン時のエピソードはマイストーリーでお話しするとして、私の人生が大きく変わったのが10年前でした。
この会社、製品に出会えたことを本当に感謝します。
アップラインの方々、特に紹介者の野口さんには本当に感謝です。
そして、今日まで支えてくださっているダウンライン、サイドラインの皆様、会社のスタッフ、家族、私に関わってくださったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
これほどまでに自分の人生が変わり、感謝できる自分になれる機会を提供してくれたこの「タヒチアンノニ」をまだまだ知らない人たちが世の中にたくさんいると思うと闘志が湧いてきます。
まだまだ、私の役目があるんだということを・・・
先日、健康管理士説明会が開催され、約200名の方が参加され、感動の涙で包まれました。
この講師の鈴木さんは実にこの健康管理士の普及に19年携わられています。
何度も辞表を出そうとされたそうですが、決して楽な道のりではなかったわけです。
人間、なんでもそうですが、途中で投げ出したりやめたくなったりすることはあるわけです。
ですが、なぜ今日まで続けてこられたのでしょうか・・・
それは「使命感」だと思うのです。
この健康管理士を一人でも多くの方に取ってもらい、予防医学を普及させ、世の中の人々の健康を守りたいという思いが鈴木さんのスピーチから伝わってきたのではないかと思うのです。
彼ほどのスピーチ力、情熱をタヒチアンノニの普及に傾けてもらったら、すぐにブラックパールになると我々は思うわけですが、彼をリクルートしようとは私は思わないのが彼の今までの実績、功績、そして健康管理士を普及させる情熱、使命感・・・
成人病予防協会には彼はなくてはならない大事な存在なのです。
タヒチアンノニを10年情熱的に、使命感を持って伝えてきている(と自分自身では思っている)私を、他のネットワークに引き入れることは可能でしょうか。
無理です・・・それはお金でやっているわけではないのです。
健康管理士の鈴木さんだって、お金で見たら、我々の業界で取り組んだら今の稼ぎの数倍は行けると思います。
ですから、使命感はお金ではないのです。
私は彼の使命感を感じていただきたいために主催させていただいたのが実は一番の理由です。
この使命感をタヒチアンノニを普及している皆さんにも・・・っていう気持ちなのです。
残念ながら、このネットワーク業界はお金で動く(働く)方が多いのが現状です。
そのようなリーダーをどうのこうのいうつもりはありません。
大切なことは使命感を持って、タヒチアンノニを普及して行ってもらえる人をどれだけ作っていけるかが大切だと思うのです。
そして、身の回りの方々に常に感謝する謙虚さ・人間力を持ってメンバーを引っ張って行ってくださる真のリーダーをこれからの10年でどれだけ作っていけるか・・・というより、どれだけその方々のお手伝いをしていけるかが私の目標です。
ですから、収入やタイトルだけを追わないでほしいというのが私の願いです。
収入、タイトルは大切ですが、大切な人との絆を壊してまでも追いかける人には敢えて忠告しておきたいです・・・
お金、地位、名誉だけを追っかけた結果、さびしい人生を送っている人を結構見てきました。
私自身タヒチアンノニ活動を通じて、人生において本当に大切なことを学んできたように思います。
そして、これからも学び続けていきたいと思います。
これからの10年も楽しみです。
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マイストーリー第29話
この話をさせていただく前に、お伝えし忘れていたことがあったので、お伝えしておきたいのは、1999年2月の日本支社オープンのときのお話です。
この頃の混乱は大変なものでした。
我々のチームは前日の1月31日の夜中の10時ごろ目黒区の青葉台にある日本支社の前に集合しました。
そのときに、もしかしたら、翌日の登録をしたい方の列があるのではないかとひそかに期待していたのでしたが、誰も並んでいなくてちょっぴりがっかりしたのを覚えています。
だけど、そこでみんなで円陣を組んで「がんばろう!」みたいな決起集会みたいなことをしました。
残念ながら、そのときにいたメンバーで今残って一緒にやっているのは、片山さんと浅野さんだけですが・・・
この時の興奮は今でもよく覚えています・・・翌日のオープンが待ちきれなくて集合してしまったのですから・・・・
さて、翌日正式オープンしましたが、そこに待ち受けていたのは、予想だにしなかった混乱の連続でした。
人員が足りないのと、スタッフもあまり教育されていなかったので、何から何までが追い付かず社内は大混乱でした。
この日から、今までアメリカ登録していた方を日本登録に切り替える作業が始まり、約1万人の方の切り替え作業に追われたのです。
その作業を数人のタヒチアンノニスタッフでやっていたわけです。
電話のオペレーターも必要だし、カウンターには凄い人が押し寄せてきたわけです。
普通の大手企業なら、数か月前から研修をやり、十分な人員を配置して万全の体制でやるわけですが、当時のタヒチアンノニインクはアメリカ本社が操業して3年も経過していないベンチャー企業だったのです。
ですから、当然十分な準備のマニュアルなどありません。
すべてが後手後手になってしまっていました。
私はこの混乱に不安を覚えずにいられませんでした。
そして、今でも忘れませんが、社内の扉を開けて、ぞっとしたのが、切り替えの登録用紙が机の上に1メートルほど山積みになっていて放置されていた光景でした。
「やばい・・・・この会社やっていけるのか・・・・」
そう思ってしまいました。
しかも、オープンして1か月はカスタマーサービスに電話してもかかるまでに何と1時間を要していたのでした。
この混乱によって、かなりの方が不安を感じてタヒチアンノニを去っていきました。
商品配送も1週間近くかかっている地域がありました。
最初はヤマトではなく、経費削減のため二流の宅配業者を使っていたのです。
我々、リーダーと会社側の会議は定期的に行われていきましたが、会議のほとんどの話がクレームで始まりクレームで終わっていました。
登録用紙は何で4枚も書かないといけないのか・・・
商品はなぜ来ないのか・・・・
電話はなぜつながらないのか・・・・
その他のさまざまなクレームが次から次へと発生し、我々はとにかく、正常に会社の体制が整ってくれることを願っていたのです。
このクレーム会議は実に1年近く続いていったと思います。
ただし、私たちは、この商品に惚れ、会社を信じて取り組んでいきたかったので、辛抱強く取り組んでいきました。
そして、今日のような万全の体制へと進んでいったのです。
会社のスタッフの方には本当に感謝です。
第29話 終わり 続く
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今日は最高の自分だった・・・今日は最高自分だった・・・
一日一善 すべての人の感謝! 自分の人生はハッピーエンド!
ツイてる、ツイてる、ツイてる!

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