アップラインの紹介 その2

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前回からの続きですが、

菊地さんはある方から紹介を受けて出会うわけですが、当時国際電話のネットワークビジネスを立ち上げて順調に業績をあげていたときに、外国人であるジョンは菊地さんの会社の電話のユーザーになっていたのです。

ジョンはモリンダを普及してくれるのは菊地さんしかいないと直感的に思い、菊地さんとなんども面会をして、彼を口説いていきました。

当時の菊地さんは、もちろんモリンダにはまったく興味を示しませんでしたし、自分が取り組めばもちろんある程度の組織ができることはわかっていたが、その外国人のジョンに利益をもたらしたくないと思っていました。

その程度の人間関係でした。

しかし、徐々に菊地さんのジョンやそのアップラインのグレッグ・テッドローの熱意に影響を受け、モリンダの可能性というより、彼らのお手伝いをしてあげようという気持ちから、モリンダのガイドブックを作ることにしたのです。

そのガイドブックがのちにモリンダメンバーのカタログとなり、その本はジョンたちの活動費となるぐらいの利益をあげ、それと共に菊地さんから始まるメンバーが飛躍的に広がり、ついにはモリンダ社の正式なオープンまでには、約5000名のメンバーになっていたのです。

そして、菊地さんの組織はモリンダ社オープン後、2年で累計10万人にもなっていったのです(メンバーを辞めてしまった人も含みます)。

ここで、菊地さんの2段アップのカッチー佐々木についてお話ししたいと思います。

私はジョンの次に響いたのが、この佐々木さんのお話しでした。

彼がいなかったら、モリンダ社は日本でここまでの成功は遂げなかったと言っても過言ではありません。

モリンダ社が1996年に創業して、間もない頃、ジョンはおじさんのジョンの元で働いていましたが、その2段アップになることになる、佐々木さんはニューヨークで、ケリーオルセン副社長が参加するIPCの集いに参加したのでした。

ある人の紹介で、まったくわけがわからない状態でそのミーティングに参加した佐々木さんは、その会の雰囲気に興味を示すことになります。

そのミーティングとはシンプルなもので、参加者が次から次へと順番に前に出てきて、自分のモリンダでの体験談、思いを語っていったのです。

その一人ひとりの話を聞いていたときに、その会場がものすごい感謝の気持ちに包まれている雰囲気にすっかり魅了された佐々木さんは、最後にお話したケリーオルセンの元に駆け寄り、是非とも日本にこの商品を入れて欲しいと懇願したのです。

ケリーオルセンはその話を本社に持って帰り、それから数ヶ月後に佐々木さんの元に連絡が入り、日本オープンの準備を進めている旨を伝えました。

早速佐々木さんは日本オープンにあたり、会社と相談して甥っ子のジョンを紹介してもらい、またアップラインを紹介してもらい、そこで日本オープンに向けた計画を立てていき、結果的に甥っ子のジョンたちの活動をサポートするノニネットワークジャパンを立ち上げる準備を始めました。

そして、日本オープンの約1年前に東京広尾に事務所を立ち上げ、そこから日本での登録された方の個人輸入をサポートするためにアップラインと一緒に始めたのでした。

甥っ子のジョンは佐々木さんがいなければ日本での活動はおそらくできなかったことと思います。

ということは、菊地さんにも出会わなかったということになります。

アップラインは誰一人かけても自分のところに情報は来なかったと思うと、本当にアップラインのこのオープン前までのご苦労に感謝に気持ちしかありません。

カッチー佐々木さんは日本オープンしてからは、いろいろな事業に携わられ、現在も日本とアメリカを行ったりきたりしているのであまり我々の前に登場することはありませんが、またいつか直接お話を伺える日を楽しみにしています。

つづく

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