今年も残り2ヶ月を切り、11月もあと残すとこ10日になってきました。
いよいよ、彼岸のクラブマルケサスに向け、最後のフロントのダイヤ達成の追い込みに入っています。
それ以外にも、新しいシステムの確立、関西市場の立ち上げ、やることはいくらでもあります。
でも、モリンダを取り組んで17年目の今年、年末に向けて一番の充実した日々を送っていると思います。
家族とは1週間に1回会えればいいという感じで、モリンダに全力投球しています。
17年前にスタートしたときには、まさか、自分のグループがこんなことになるとは思ってもいませんでした。
もちろん、ノニが日本中、世界中に広がっている漠然としたイメージだけはありました。
そのイメージだけでここまで来れたと言っても過言ではありません。
ノニを食文化にすると菊地さんが掲げたビジョンに賛同し、ここまで来ることができました。
食文化のビジョンをダウンラインの僕らに託し、別の事業で素晴らしい実績をあげていらっしゃる菊地さんには本当に感謝の気持ちが日々募ってきます。
そして、菊地さん以外のアップラインの方々、そしてダウンラインの方々、サイドラインの方々、モリンダ社のスタッフの方々のおかげで今の自分の活動があります。
本当に感謝の気持ちがこみあげてきます。
そして、これから出会う新しく出会うメンバーの方々のためにさらなるサポート、環境づくりに励まなくてはという使命感で日々頑張っています。
すごく幸せです。
人は鏡と言いますが、自分が充実した日々を過ごすことによって、自分のまわりの方々も全員の方が充実した日々を送られている光景を毎日のように見ることができます。
被害者意識がなく、日々自己責任で、将来への不安どころか、希望に満ち溢れた日々を歩んでいる仲間とこれからも一緒に歩んでいける毎日がとっても幸せです。
さて、前回のつづきです。
甥っ子のジョンは日本に来て、1年間は苦労の日々が続きます。
彼の生活を支えたのは、ジョンの2段アップラインのカッチー佐々木さんこと、佐々木克之さんが住まい兼事務所を東京広尾に構えてくれたことによります。
ジョンは、毎日のようにいろいろなところに出かけては、学生当時にやっていたキリスト教の布教活動のように、ノニを紹介していきました。
ある日は山手線の中で名刺を渡しました。
また、ある日は他社のネットワーク企業のミーティングに潜入して名刺交換をしていきました。
また、ある日は地元の商店街で名刺を渡していきました。
でも、折り返し電話が来るのは決まってデート目的の女性ばかりでした。
ジョンと一緒に真剣にモリンダビジネスを取り組む人は半年間現れることはなかったのです。
しかし、活動して約半年後に運命の菊地英晃さんと出会うことになるのです。
つづく
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