被害者意識の芽を摘む その3

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昨日は息子の11回目の誕生日で、家族で高尾山に登りました。

息子と娘はまた行きたいと行ってくれました。

やはり、家族で同じ山(道)を登るということは素晴らしい経験で、我々のビジネスも同じ山をメンバーにともに登ることなんだなあ〜と思います。

前回は、「疲れた〜」っていうのも、被害者意識ですよ〜というお話でしたが、

被害者意識の芽を摘むのは一朝一夕にはできません。

日々の自分に出てきた、被害者意識の芽を摘んでいくことしかありません。

では、なぜ人には元々被害者意識があるのでしょうか。

それは、必ず被害者意識をもって生まれてくるからです。

子供のときにはそれが特に強い出ます。

赤ちゃんはおっぱいが欲しくなると泣きます。

これが最初の被害者意識です。

いや、もっと前にありました。

お母さんの産道を通って出てきたときに、大声で泣きますね。

そこからが被害者意識のスタートです。

おっぱいほしくなったら、泣き、お母さんが見えなくなると泣き、、、、、

兄弟がいれば、兄弟にお母さんが取られたと思えば泣き、兄弟を責め(攻め)、小さいときはとにかく、自分の思い通りにいかないと必ず自分以外のせいにします。

これが大人になっても続いている人がいますね。

職場でも、同僚、上司、部下に対して、、、、

ネットワークビジネスにおいても、アップライン、サイドライン、ダウンラインに対して、、、、

場面や人が変われど、基本親に言っていたことを、会社の上司や先輩、社長、総理大臣に言い、兄弟に言っていたこと(やっていたこと)を、同僚に言う(やる)のです。

ですから、この自分が被害者意識を持って人生を歩んでいるということをどこかで気付かないと、一生やってしまうのです。

これでは、真の幸せは得られませんね。

だから、まずは、日々の自分の中にある被害者意識を意識したときに、

例えば、思わず、人を責めようとしたときに、

それは、「被害者意識だ」、やめよう(芽を摘もう)と思えばいいのです。

自分の中だけはありません。

その被害者意識はまわりに鏡のように投影されています(映し出されている)から、自分のまわりの人が被害者意識的なことを言っているのを見たら、自分の中のある被害者意識の芽が相手に映し出されていると思って、自分の中の被害者意識の芽を摘んであげましょう。

以前の私は、毎日、不平不満、愚痴、悪口、言い訳、文句、甘えのオンパレードでした。

ですから、当然自分のまわりもそういう人だらけでした。

この被害者意識の話を聞いて、目からうろこが落ち、それ以来、被害者意識の芽を摘むぞと意識してから、当然自分では言う数が減っていき、それに伴ってまわりでもそういう光景が少なくなってきました。

もちろん、まだまだ目にすることはありますが、それは自分の過去の深層意識がまわりに投影していることですから、それは徐々に摘んでいけばと思っています。

「人の振り見て我が振り直せ」

を実践するわけです。

おかげさまで、私はここ1年ぐらい、この実践によって人生が大きく変わってきました。

私の師匠曰く、修正には3年は最低かかるそうですかから。

これから、どんどん被害者意識の芽を摘んでいけば、自分と自分のまわりから、被害者意識、加害者意識の人がいなくなるのです。

これが私の究極の目標、夢なのです。

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