先週金曜日の沖縄に帰った日の前日から2日連続で日中30度を超える真夏日でした。
今日は急に涼しくなったため、めずらしく子供が体調を崩しています。
昨日は第2回目の沖縄でのビジネスチャンスミーティングでした。
後半の1時間を統計学をやったのですが、おかげさまで大好評で、アフターで盛り上がり、ほとんどのアフター参加された方が気づきを得られたようです。
人柄重視のタイプの方は話が長く、他のタイプからイライラされることがあるのでそれに気づかれたという感想でした。
統計学のおかげで自分の欠点に気づかれたわけで、もし単独で話しが長いと指摘されるとショックを受けるのが、話が長いのが人柄タイプの特徴とわかると素直に受け入れてくれたわけです。
結果重視タイプの方の感想は、いい方がキツイ、誉めるのが苦手という人が多く、言い方を気をつけるのと、誉める練習をしようと思われたようです。
直感重視タイプの方は話を最後まで聞かないというところに響いていたようでした。
この理論を理解して、自分の長所と短所を知ることにより、長所を伸ばし、短所を補うことを心がけるようになります。
また、相手と自分が違うということを統計学上理解できるので人とのコミュニケーションのストレスが著しく減少するという効果が得られるのです。
この仕事に限らず、人とのコミュニケーションのストレスによってつまらなくなったり、やめたくなったりすることが多く、このコミュニケーションストレスはどの職場に行っても同じことが起こります。
従って、この理論を知ることにより、コミュニケーションのストレスが軽減して人間関係づくりが楽しくなります。
ノニビジネスにおいては組織が崩れることを防げるので特にリーダーの方には知っておいていただくと凄~く便利です。
詳しくは東京で、今月18日18:30~の日本支社での私のオープントレーニングがあるので後半の1時間で統計学をやるのでそこで詳しくお伝えしたいと思います。
さて、前回の最後にもお伝えしましたが、これから私のマイストーリーを連載していきたいと思います。
ノニの出会いからだけのストーリーだとネタが少ないので私の幼少時代からのストーリーを書いてみました。
久しぶりに昔を思い起こしながら書けたので楽しかったです。
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鈴木峰雄のマイストーリー 第1話
私は東京の港区六本木で生まれ、8つ上の兄との2人兄弟です。
両親は現在茨城、兄家族は東京で暮らし、私たちは家族3人で沖縄で暮らしています。
私の両親は兄の次の2人目を流産し、8年ぶりに私が待望の2人目で生まれたということで、たいそうかわいがられ、甘やかされて育ちました。
その影響で私は今日まで自分勝手さがなかなか抜けきれないわけです。
私は小4まで六本木で暮らし、その後、父が公務員だったので、その宿舎を取り壊して大きなマンションを建てる計画のため、新宿区の戸山というところの宿舎に転居しました。
この初めての転校という出来事がのちに私の人生に大きな影響を与えていくとはこのころには知る由もありませんでした。
転校した当初、なかなかなじめず、最初は仲間はずれにされるなど少しつらい経験もしましたが、小学校6年のときには、地域の野球チームでキャプテンを務め、ピッチャーで、4番、最終的にはチームで一番の打率を誇ったのです。
小、中と、地元の公立の学校に入り、小4からは新宿の歌舞伎町という繫華街の近くだったため、6年から中学までは頻繫に歌舞伎町に通っていました。
といっても、もちろん大人の遊びではなく、ゲームセンターの暗い中で明るい画面を集中して見ていたために中学2年で近視になってしまい、それ以来今日まで眼鏡をかけています。
中学に入ると野球はやらずに、両親の影響で、小学校から続けていたソフトテニスを本格的にやろうということで、ソフトテニス部に入るも、男子部員が少なく、2年の時に男子部だけあえなく廃部、背がそこそこ高かったため、その後クラスのバレー部の友人に誘われてバレー部に入りました。
周りと1年スタートが遅いためについていくのが大変で、しかも私を入れて6名しか同級生がいなかったので、自然にレギュラーにならざるを得ず、同級生からしごかれ、普段は友人なのに、なぜか部活中は怖い先輩ようになって、その恐怖心で鍛えられました。
2年の新人戦でライバル校に負け、そこからの1年をみんなで必死で練習し、翌年の最後の区の大会でライバル校を破って優勝し、都大会に出場するも、私は受験のために都大会出場をせずに同期に迷惑をかけてしまいました。
中2の1学期終了時に私は自ら母親に塾に行きたいと言い出し兄と同じ高校(早大学院)に入るために塾通いがスタートしたのです。
私は両親よりも8つ上の兄にかわいがられた影響から、自然と兄と同じ進路をたどりたいと思うようになっており、3年の後半はそれこそ追い込みのため、部活もそこそこで勉強に集中するようになりました。
ただ、担任からは直前まで志望校に入るのは難しいと言われていたのですが、私はなぜか入る気満々でした。
今思えば、これが受験に成功する一番の決め手になったのが、塾の行き帰りに必ず大学のソフトテニス部の練習場を通るのですが、その練習風景を金網越しに行きと帰りに食い入るように見ていたのでした。
これがいわゆる「イメージトレーニング」だったのかもしれません。
私の目標は早大学院に入ることではなく、この早稲田大学のソフトテニス部に入ることだったのです。
当時大学日本一になっており、自分もここに入って日本一になりたいと思ったのでした。
このイメージングのおかげで、見事志望校に合格しました。
担任も驚き、両親も喜んでくれましたが、私はなぜか当然という感じだったのです。
おそらく、これだけ勉強してこれだけイメージトレーニングしていたから当然と思えたのでしょう。
高校に入るとまずソフトテニス部に入部し、あとは勉強に関しては要領をわきまえて、平均点を常にキープしていました。
というのが、大学で部活に集中したかったので、そのためにどの学部に入るのがよかったのか調べたとき、法学部が、出席とらない、卒論書かなくていいということで、ここに入るためには平均点さえとっていれば入れることを知ったので、平均点を目指していったのです。
おかげで、見事法学部に入学し、思う存分部活に明け暮れたのでした。
第1話 終わり つづく
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今日は最高の自分だった・・・今日は最高自分だった・・・
一日一善 すべての人の感謝! 自分の人生はハッピーエンド!
ツイてる、ツイてる、ツイてる!
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